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PERSON 設計家

チャールズ・H・アリソン

ハリー・コルトの代役として日本へ

 

チャールズ・H・アリソン
Charles Hugh Alison
1883(明治16)-1952(昭和27)

 1883年3月5日、英国のランカシャー州プレストンで生まれたアリソンは、マルバーン大学からオックスフォード大学に進学し、ゴルフ部に所属する。5歳から始めたゴルフの腕前はかなりのもので、大学時代にはケンブリッジとの合同チームの代表選手として、アメリカ遠征も果たしている。
 ゴルフコース設計の先達、ハリー・コルトと13歳年下のアリソンが知り合ったのはこの頃といわれる。コルトは在学中にケンブリッジのゴルフ部でキャプテンを務めており、オックスフォードとの対抗戦などで交流があったようだ。

 

 コルトと知り合いその影響を受けたアリソンは、やがてコルトやのちにオーガスタナショナルを設計するアリスター・マッケンジーらの事務所でコース設計に携わるようになる。マッケンジーがコルトの元を去ったのちは、パートナーとしてコルト、ジョン. S, F.モリソンとともに設計事務所を営んでいる。
 その後、アメリカを中心に活動していたアリソンだったが、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの設計依頼を、高齢を理由に辞退したコルトに代わり引き受け、1930年の11月末に日本にやってくる。東京ゴルフ倶楽部朝霞コース設計のため来日したアリソンは、廣野ゴルフ倶楽部の設計、茨木カンツリー倶楽部、鳴尾ゴルフ倶楽部のコース改修も引き受けることとなる。

 

日本の美意識を理解しようとしたアリソン

 朝霞コースの設計を終えたアリソンは、大谷光明、髙畑誠一に伴われて関西へと向かう。途上、大島コース(設計・大谷光明)がすでに完成していた川奈ホテルに立寄り、オーナーの大倉喜七郎の願いを受け富士コースを設計した。
 「日本のコースを造るには、日本庭園を参考にしたい」との要望があり、大谷光明は弟の大谷尊由とともにアリソンを、桂、修学院の両離宮を始め、龍安寺の石庭、西芳寺の苔庭など京都の名園に案内している。また、京都に着いた夜、とある料亭に連れて行くと、アリソンは料亭の庭園の水音を聞いて喜んでいたという。
 大谷光明はのちに茨木カンツリー倶楽部の機関紙(1958年2月号)において、次のように記述している。
 「桂、修学院の両離宮を始め、龍安寺の石の庭、西芳寺の苔の庭などを見せ、都ホテルに帰り、パーラーで午後のお茶を飲んだ。同氏は何か瞑想しているようであるから、独り別のテープルに座らせて静かにしておいた。しばらくして龍安寺の石の庭の白砂に引いてある熊手の筋が、大部分は直線であるのに、石の周囲だけは丸く引いてあるのは、どういうわけかと質問するので、私の弟の尊由が、あれは石を島と見て、波の寄せる模様をシンボライズすべく、数本の円線を廻らせてあるのだと教えると、また彼の沈思黙考が続く。今日みた庭園の内で、どれが一番すぐれているかと私は尋ねてみた。全然予備知識は与えていないから、十中八九は索人向のする修学院という答を予期したところ、即座に桂離宮と断言したには、驚嘆すると同時に、これならば立派なものを設計するだろうと百パーセント安心した」
 アリソンは図面を基にした近代的コース設計を日本に持ち込んだだけでなく、日本を理解し、日本の風土に適合したゴルフコース設計を目指そうとしていたことが伺われる。

 

日本では知られていないが、アリソンは米国でも、コルトとの共同設計によるパインバレーGC、ティンバーポイントGCなど、多くの名コースを残している。写真は造成中の廣野ゴルフ倶楽部13番グリーンに杭を打つアリソン。「ゴルフドム」1931年2月号より転載

 

アリソンの設計を継承した
日本のコース設計家たち 

 アリソンの日本滞在は4カ月余りの短いものであったが、アリソンの図面とその仕事ぶり、そしてアリソンがアメリカから連れてきたシェーパーのジョージ・ペングレースの働きに、大谷光明、藤田欣哉、赤星四郎、六郎の兄弟など、多くの日本人設計家たちは魅了され、大きな影響を受けている。
 なかでも、病気療養中の川奈ホテルでアリソンと出会い、霞ヶ関カンツリー倶楽部東コースでペングレースから設計を学んだ井上誠一、廣野ゴルフ倶楽部で現場監督を務めた伊藤長蔵の助手を務めた上田治の二人は、アリソンに多大な影響を受け、専業コース設計家となり数多くの名コースを残している。

 

日本におけるアリソンの設計コース

  • 東京ゴルフ倶楽部朝霞コース(現存せず)
  • 川奈ホテルゴルフコース富士コース
  • 廣野ゴルフ倶楽部

 

日本におけるアリソンの改造・監修コース

  • 霞ヶ関カンツリー倶楽部東コース
  • 藤澤カントリー倶楽部(現存せず)
  • 鳴尾ゴルフ倶楽部
  • 茨木カンツリー倶楽部東コース

 

参考文献:
茨木カンツリー倶楽部機関紙「IBARAKI」1958年2月号
「ゴルフドム」1931年
ゴルフダイジェスト社「CHOICE」2019年9月号「アリソン、来日91年目の真実」

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