HISTORY ゴルフ場
日本初のゴルフコース
六甲山上に造られた4ホール
日本初のゴルフコースは、英国人アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom)が六甲山上に造った4ホールである。
ロンドンで1846年に生まれたグルームは、開国された日本との貿易の可能性を見込んで、1868年、神戸へとやってくる。中国から日本へと渡り貿易を行っていた兄フランシス・アーサー・グルーム(Francis Arthur Groom)とともに、幕末の長崎を舞台に活躍した貿易商、トーマス・グラバー(Thomas Blake Glover)が営むグラバー商会(グローバー商会とも)の神戸支店を開設するためであった。
その年、グルームは日本人女性の宮﨑直と結婚。4年後には兄の経営するグラバー商会から独立してMourilyan Heimann & Co.の出資者となり茶の貿易を始める。その後、生糸の貿易やオリエンタルホテルの経営にも手を伸ばし、事業家として成功している。
日本初の4ホールを六甲山上に築いた
アーサー・ヘスケス・グルーム
グルームが最初に六甲山に登った動機は狩猟と登山であった。頻繁に六甲山に出かけ、その眺望とその澄んだ空気に見せられたグルームは1895年、一帯の土地を共有する13カ村から1万坪の土地を借り受けて、別荘を建てる。これが六甲山項に造られた最初の人家であったといわれる。
グルームは借地の中の良さそうな場所に家を建設し、友人がこれを気に入ると譲渡していった。こうしてこの一角には別荘が立ち並び、神戸在住の外国人たちのサマーリゾートとなっていったのである。
グル―ムの別荘は外人居留地にあった彼の商館番号101番にちなんで「百一」と呼ばれていたという。
英国人A.H.グルームが
私費を投じて人力で建設
1898(明治31)年の夏、六甲山頂付近のグルームの山荘に遊びに来ていたグルームとその友人、ミルウォード(G.Millward)、アダムソン(J.Adamson)、ソーニクラフト(T.C.Thornicraft)の4人は、故国イギリスの思い出話に花が咲き、ふとしたことから「ゴルフをしてみようじゃないか」という話となった。
この話がきっかけとなりゴルフ場建設を決意したグルームは、早速、土地を借り、何人かの仲間の協力を得て、岩を掘り起し、雑草や笹の根を刈り取り、木の根を引き抜くという、人力によるホール造りを始める。3年の苦労の末、1901(明治34)年の秋、4ホールが完成した。これが日本初のゴルフコースである。
のちには9ホールとなり、1903年、この地に日本初のゴルフクラブ、神戸ゴルフ倶楽部(現、一般社団法人 神戸ゴルフ倶楽部 兵庫県神戸市灘区六甲山町一ケ谷1-3)が誕生する。
日本初の4ホールのレイアウト。「日本のゴルフ史」(西村貫一著、1930年初版、文友堂)より転載
参考文献:
「日本のゴルフ史」西村貫一著、1930年初版、文友堂
「神戸スポーツはじめ物語」高木應光著、神戸新聞総合出版センター
INDEX