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HISTORY プロゴルファー

ヘーゲン、カークウッド来日

1930年に来日、宮本・安田などと
エキシビションマッチを行う

「ゴルフドム」(1930年5、6、7月合併号)は、5月22日に鳴尾(鳴尾浜コース)で行われたヘーゲン、カークウッドの日本での初めてのエキシビションプレーの様子を「未だ日本にはなかったギヤラリーと云うものが始めて鳴尾に出現した」(原文ママ)と報じた

 1930年、JGAはオーストラリアに遠征していたアメリカのウォルター・ヘーゲン(Walter Hagen, 1892-1969) とオーストラリア出身のプロ、ジョー・カークウッド(Joseph Henry Kirkwood Sr. 1897-1970)の来日を要請した。
 メジャー11勝(ニクラス、タイガーに次ぐ歴代3位)、米国PGAツアー通算45勝の記録を持つウォルター・ヘーゲンは、ジョー・カークウッドとともに5月20日に来日。二人は同月の22日に鳴尾ゴルフ倶楽部、24日に茨木カンツリー倶楽部で模範プレーを行い、25日に茨木カンツリー倶楽部で宮本留吉、安田幸吉を相手にフォアボールマッチを行ったのを皮切りに、鳴尾、宝塚や東京、武蔵野、程ヶ谷の各倶楽部を巡回して関東、関西で計8回のエキシビションマッチを開催した。

 

新宿御苑のコースで
天皇陛下に妙技を披露

 「ツアーだけで生計を立てた最初のプロゴルファー」といわれるヘーゲンは、その立ち振る舞いの華やかさでギャラリーを魅了し、ビジネスとしての競技ゴルフ、エキシビションマッチを確立させた人物として知られる。全盛期は過ぎたとはいえ、来日の前年(1929年)に全英オープンに優勝していた。
 ジョー・カークウッドは米国PGAツアーで通算13勝したオーストラリア人プロで、曲打ちの名手でもあった。
 高い技術とショーマンシップでギャラリーを魅了するヘーゲン、カークウッドのプレーぶりが、日本のゴルファー、そして競技ゴルフに対しもたらした影響は、計り知れないものがあったであろう。
 ヘーゲンとカークウッドは川奈の大島コースなどもプレー、新宿御苑内のコースに招かれて、天皇陛下(昭和天皇)にも妙技を披露している。
 そして、ヘーゲンとカークウッドは、日中戦争が始まった翌年(1938)の4月下旬に再び来日、名古屋(和合)、程ヶ谷、小金井などでエキシビションマッチを行っている。

ヘーゲン、カークウッド来日を詳報した「ゴルフドム」(1930年5、6、7月合併号)の表紙

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