HISTORY 競技
日本プロゴルフ選手権大会
日本にプロゴルファーが誕生したのは1920(大正9)年のことだった。横屋ゴルフアソシエーションでキャディをしていた福井覚治がこの年に開場した舞子カンツリー倶楽部(現・垂水ゴルフ倶楽部)のキャディマスター兼プロとして採用され、日本初のプロゴルファーとなったのである。
以降、宮本留吉や安田幸吉らがプロとなり、徐々にその数が増えていく。当時のプロの仕事はレッスンやクラブ修理など。試合まだはなかった。
1926年、第1回大会を開催
そんな現状を茨木カンツリー倶楽部会員で大阪毎日新聞社の豊川良之助が同CC所属プロの宮本留吉から聞いたことが日本プロゴルフ選手権大会(以降日本プロと表記)の創設につながっていく。豊川は大阪毎日新聞社主筆の高石真五郎らに働きかけて日本で初めてのプロの試合開催を実現する。1926(大正15)年のことだった。
試合は茨木、舞子、甲南、鳴尾の関西4倶楽部が主催、大阪毎日新聞社が後援という形で行われ、大阪毎日新聞は大会名を「全日本ゴルフ・プロフェッショナル卅六ホール・メダルプレー争覇戦」と表記している。これが後の日本プロである。
7月4日、茨木カンツリー倶楽部に6人のプロが集まって36ホールストロークプレーで戦った。161で並んだ福井と宮本が6日後の7月10日に改めて36ホールストロークプレーのプレーオフを行い、宮本が初代チャンピオンに輝いた。

第1回大会の優勝者・宮本留吉。1965年撮影
第6回からは暫定的にJGAが主催
第2回大会からは大阪毎日新聞社が主催となる。第3回大会では20歳102日の浅見緑蔵が優勝。今なお、これが大会最年少優勝記録として残っている。
第4回大会には競技方式をそれまでの1日36ホールストロークプレーから2日間の72ホールストロークプレーへと変更。1930(昭和5)年の第5回大会では福井の甥でもある村木章が後続に19打差をつける大会最多差優勝を飾っている。
翌1931(昭和6)年の第6回大会から主催がJGAに引き継がれ、大会名も「日本プロフェッショナルゴルフチャンピオンシップ」と表記されるようになった。新聞社主催の大会からゴルフ統括団体が主催する本格的なチャンピオンシップへと生まれ変わったのだ。競技方式もまず36ホールストロークプレーの予選を実施し、上位8選手がマッチプレーによるトーナメントを戦ってプロ日本一を決める形に変更された。出場人数は前年の15人から28人へと大幅増。それだけ、プロゴルファーが増えてきたのである。
では、なぜJGAがプロのチャンピオンシップを主催したのか。日本プロゴルフ協会30年史はその経緯を「JGAが主催した理由は、昭和6年当時、まだ、プロが独立できるまでに育っていなかったからである。そこでJGAが日本PGAを一時預かるかたちで、日本プロ選手権(プロ東西対抗をふくめ)を主催することにしたわけである」と記している。この年、関東と関西でそれぞれプロ協会が組織されたが、全国的なプロ協会はまだ存在していなかった。
戦後の復興は1949年
1932(昭和7)、1933(昭和8)年にはフィリピンからやって来て日本で活動していたラリー・モンテスが連覇。大会初の外国人チャンピオンとなった。
1934(昭和9)年にはマッチプレーに進出する人数が8人から16人に増える。第10回の節目を迎えた1935(昭和10)年には出場選手が50人に到達。わずか6人で始まった大会は10年でここまで成長したわけだ。この年に勝ったのは戸田藤一郎。戸田は3年後の1938(昭和13)年から大会史上初の3連覇を達成している。
第二次世界大戦のため1943(昭和18)年から中断していた大会は1949(昭和24)年に再開される。ただし、当時は戦争の影響で解散していたJGAがまだ復興しておらず、関東プロゴルフ協会が主催。大会名は「全日本プロ招待ゴルフ競技会」で、その後しばらくは日本プロとは別の大会とされていた。それでも、後に日本プロとしての条件を満たすとJGAが判断。勝った林由郎は第17回大会覇者として名を連ねることになった。
その戦後第1回大会は72ホールストロークプレーで行われた。翌1950(昭和25)年からは復興したJGAが再び主催となり、マッチプレーが復活。中村寅吉が大会史上2人目の3連覇への第一歩を記した1957(昭和32)年の大会翌日には日本プロゴルフ協会の発足式が行われ、2年後の1959(昭和34)年から主催は日本プロゴルフ協会へと引き継がれた。
1961(昭和36)年には競技方式が72ホールストロークプレーに変更される。当時は初日、2日目は18ホール、最終日が36ホールの3日間競技。現在と同じ4日間競技になったのは1971(昭和46)年のことである。
1965(昭和40)年には初めて観客から入場料を徴収する。チケットは3日間通し券で1000円だった。
1971年、尾崎将司が初優勝
通算100勝を超えている尾崎将司がその第一歩を刻んだのが1971(昭和46)年の日本プロだった。当時24歳。プロ野球選手からプロゴルファーに転身した希代の飛ばし屋は杉本英世を1打抑えて初優勝をビッグタイトルで飾ってみせた。
尾崎将は1974(昭和49)年、1989(平成1)年、1991(平成3)年、1993(平成5)年にも勝って宮本留吉、戸田藤一郎、林由郎、中村寅吉の4勝を塗り替える大会最多勝を記録。49歳で迎えた1996(平成8)年にはその記録を6勝に伸ばした。

1971年、この大会で初優勝した尾崎将司
尾崎将と同時期に競い合った青木功と中嶋常幸はともに大会3勝を挙げている。
海外の選手に門戸を開いたのが1987(昭和62)年にことだった。従来、出場者は日本プロゴルフ協会会員に限られていたが、ツアーの賞金ランキングによるシードを会員以外の外国人選手にも与えることになり、それに伴って日本プロ出場の資格も与えたのである。門戸開放元年にいきなり米国ハワイ出身のデービッド・イシイが優勝。同年、イシイは外国人選手初の賞金王にも輝いた。
尾崎直道が大会初優勝を果たした1999(平成11)年には2位に長兄の将司、3位に次兄の健夫が入り、尾崎3兄弟で3位までを独占するという男子ツアー史上初の出来事があった。同時に、大会6勝の将司、同2勝の健夫に続く3兄弟日本プロ制覇の快挙をも達成している。
2018(平成30)年には50歳の谷口徹がプレーオフを制して大会3勝目をマーク。尾崎将が持つ49歳の大会最年長優勝記録を塗り替えた。
2020(令和2)年には新型コロナウイルスの世界的感染拡大の影響で多くの大会が中止となる。7月に日光カンツリー倶楽部で行う予定だった日本プロも開催を見送った。
2025(令和7)年には第92回大会を実施。日本最古のプロゴルフトーナメントはその歴史を刻み続けている。
文/宮井善一
参考文献
『日本ゴルフ協会七十年史』
『日本プロゴルフ協会30年史』
日本プロゴルフ選手権大会歴代優勝者一覧
| 開催年 | 優勝者 | Score | 開催コース | Yards | Par |
|---|---|---|---|---|---|
| 1926 | ☆宮本 留吉 | 161 | 茨木CC | ||
| 1927 | ☆中上 数一 | 153 | 茨木CC | ||
| 1928 | 浅見 緑蔵 | 156 | 鳴尾GC(鳴尾浜) | ||
| 1929 | 宮本 留吉 | 301 | 武蔵野CC六実C | ||
| 1930 | 村木 章 | 304 | 宝塚GC | ||
| 1931 | 浅見 緑蔵 | 6 and 5 | 武蔵野CC藤ヶ谷C | ||
| 1932 | ラリー・モンテス | 4 and 3 | 鳴尾GC | ||
| 1933 | ラリー・モンテス | 6 and 5 | 藤澤CC | ||
| 1934 | 宮本 留吉 | 3 and 1 | 廣野GC | ||
| 1935 | 戸田 藤一郎 | 7 and 5 | 相模CC | ||
| 1936 | 宮本 留吉 | 4 and 3 | 名古屋GC | ||
| 1937 | 上堅 岩一 | 1up | 鷹之台CC | ||
| 1938 | 戸田 藤一郎 | 7 and 5 | 宝塚GC | ||
| 1939 | 戸田 藤一郎 | 3 and 2 | 川奈ホテルGC富士C | ||
| 1940 | 戸田 藤一郎 | 6 and 5 | 福岡CC | ||
| 1941 | 中止 | ||||
| 1942 | 陳 清水 | 7 and 6 | 小金井CC | ||
| 1943-48年は第二次世界大戦のため中止 | |||||
| 1949 | 林 由郎 | 293 | 我孫子GC | ||
| 1950 | 林 由郎 | 9 and 7 | 我孫子GC | ||
| 1951 | 石井 哲雄 | 3 and 1 | 廣野GC | ||
| 1952 | 井上 清次 | 5 and 3 | 相模CC | ||
| 1953 | 陳 清水 | 2 and 1 | 我孫子GC | ||
| 1954 | 石井 茂 | 7 and 5 | 廣野GC | ||
| 1955 | 小野 光一 | 1up(39H) | 相模CC | ||
| 1956 | 林 由郎 | 7 and 6 | 名古屋GC | ||
| 1957 | 中村 寅吉 | 2up | 程ヶ谷CC | ||
| 1958 | 中村 寅吉 | 3 and 2 | 鳴尾GC | ||
| 1959 | 中村 寅吉 | 5 and 4 | 茨木CC | 6764 | 72 |
| 1960 | 棚網 良平 | 1up | 大洗GC | 7200 | 72 |
| 1961 | 林 由郎 | 286(-2) | 古賀GC | 6790 | 72 |
| 1962 | 中村 寅吉 | 285(-3) | 四日市CC | 7255 | 72 |
| 1963 | 橘田 規 | 285(-3) | 龍ヶ崎CC | 7012 | 72 |
| 1964 | 橘田 規 | 281(-7) | 枚方CC | 7050 | 72 |
| 1965 | 河野 光隆 | 273(-15) | 川越CC | 6830 | 72 |
| 1966 | 河野 光隆 | 271(-17) | 総武CC | 6960 | 72 |
| 1967 | 宮本 省三 | 276(-12) | 三好CC | 7070 | 72 |
| 1968 | 島田 幸作 | 282(-6) | 習志野CC | 7022 | 72 |
| 1969 | 石井 裕士 | 277(-11) | 春日井CC | 6900 | 72 |
| 1970 | 佐藤 精一 | 280(-8) | 水海道GC | 6900 | 72 |
| 1971 | 尾崎 将司 | 282(-6) | フェニックスCC | 7105 | 72 |
| 1972 | 金井 清一 | 278(-10) | 紫CCすみれC | 7070 | 72 |
| 1973 | 青木 功 | 275(-13) | 岐阜関CC | 7245 | 72 |
| 1974 | 尾崎 将司 | 274(-14) | 表蔵王国際GC | 6832 | 72 |
| 1975 | ☆村上 隆 | 282(-6) | 倉敷CC | 6854 | 72 |
| 1976 | ☆金井 清一 | 273(-7) | 球磨CC | 6280m | 70 |
| 1977 | 中嶋 常幸 | 277(-11) | 日本ラインGC西C | 6257m | 72 |
| 1978 | ☆小林 富士夫 | 281(-7) | 小樽CC | 6471m | 72 |
| 1979 | 謝 敏男 | 272(-16) | 浅見CC | 6321m | 72 |
| 1980 | 山本 善隆 | 282(-2) | ノーザンCC赤城ゴルフ場 | 6353m | 71 |
| 1981 | 青木 功 | 277(-11) | 札幌後楽園CC | 6372m | 72 |
| 1982 | 倉本 昌弘 | 274(-14) | 名神八日市CC | 6338m | 72 |
| 1983 | 中嶋 常幸 | 279(-9) | 紫雲GC | 6407m | 72 |
| 1984 | 中嶋 常幸 | 275(-9) | ミナミ菊川CC | 6247m | 71 |
| 1985 | ☆尾崎 健夫 | 288(-4) | セントラルGC東C | 6640m | 73 |
| 1986 | 青木 功 | 272(-16) | 日本ラインGC西C | 6187m | 72 |
| 1987 | デービッド・イシイ | 280(-8) | 浜野GC | 7217 | 72 |
| 1988 | 尾崎 健夫 | 268(-20) | 愛媛GC | 7010 | 72 |
| 1989 | 尾崎 将司 | 278(-6) | 烏山城CC | 6968 | 71 |
| 1990 | 加瀬 秀樹 | 274(-14) | 天野山CC | 6860 | 72 |
| 1991 | 尾崎 将司 | 273(-15) | プレステージCC | 7107 | 72 |
| 1992 | ☆倉本 昌弘 | 281(-7) | 下秋間CC | 7145 | 72 |
| 1993 | 尾崎 将司 | 278(-10) | スポーツ振興CC | 6840 | 72 |
| 1994 | 合田 洋 | 279(-5) | レイクグリーンGC | 7138 | 71 |
| 1995 | 佐々木 久行 | 272(-16) | 夏泊GL | 7058 | 72 |
| 1996 | 尾崎 将司 | 270(-18) | 山陽GC吉井C | 7236 | 72 |
| 1997 | 丸山 茂樹 | 272(-16) | セントラルGC西C | 7049 | 72 |
| 1998 | ☆ブラント・ジョーブ | 280(-8) | グランデージGC | 7082 | 72 |
| 1999 | 尾崎 直道 | 283(-5) | GCツインフィールズ | 7136 | 72 |
| 2000 | 佐藤 信人 | 280(-4) | カレドニアンGC | 6910 | 71 |
| 2001 | ディーン・ウィルソン | 281(-3) | ザ・クイーンズヒルGC | 7002 | 71 |
| 2002 | ☆久保谷 健一 | 279(-9) | KOMACC | 7048 | 72 |
| 2003 | 片山 晋呉 | 271(-17) | 美浦GC | 7010 | 72 |
| 2004 | S・K・ホ | 202(-14) | Kochi黒潮CC | 7270 | 72 |
| 2005 | S・K・ホ | 272(-16) | 玉名CC | 7018 | 72 |
| 2006 | ☆近藤 智弘 | 278(-10) | 谷汲CC | 7003 | 72 |
| 2007 | 伊澤 利光 | 283(-5) | 喜瀬CC | 7193 | 72 |
| 2008 | 片山 晋呉 | 265(-23) | レーサムG&スパリゾート | 7127 | 72 |
| 2009 | 池田 勇太 | 266(-14) | 恵庭CC | 7134 | 70 |
| 2010 | 谷口 徹 | 270(-10) | パサージュ琴海アイランドGC | 7060 | 70 |
| 2011 | 河井 博大 | 275(-9) | 小野東洋GC | 7158 | 71 |
| 2012 | 谷口 徹 | 284(-4) | 烏山城CC | 7193 | 72 |
| 2013 | 金 亨成 | 279(-5) | 総武CC総武C | 7327 | 71 |
| 2014 | 手嶋 多一 | 279(-9) | ゴールデンバレーGC | 7233 | 72 |
| 2015 | アダム・ブランド | 268(-16) | 太平洋C江南C | 7053 | 71 |
| 2016 | ☆谷原 秀人 | 266(-22) | 北海道クラシックGC | 7094 | 72 |
| 2017 | 宮里 優作 | 276(-12) | かねひで喜瀬CC | 7217 | 72 |
| 2018 | ☆谷口 徹 | 282(-6) | 房総CC房総ゴルフ場 | 7324 | 72 |
| 2019 | ☆石川 遼 | 269(-13) | いぶすきGC開聞C | 7212/7150 | 71/70 |
| 2020 | 新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止 | ||||
| 2021 | 金 成玹 | 271(-13) | 日光CC | 7236 | 71 |
| 2022 | 堀川 未来夢 | 269(-15) | グランフィールズCC | 7219 | 71 |
| 2023 | 平田 憲聖 | 277(-11) | 恵庭CC | 7441 | 72 |
| 2024 | 杉浦 悠太 | 268(-18) | 富士C可児C可児ゴルフ場志野C | 7164/7201 | 71/72 |
| 2025 | ☆清水 大成 | 274(-14) | 三甲GC谷汲C | 7337 | 72 |
☆はプレーオフ
※2019、2024年は第1、第2ラウンドと第3、第4ラウンドでパーを変更
競技方式の変遷
1926~1928年は36ホールストロークプレー
1929、1930年は72ホールストロークプレー
1931~1960年はマッチプレー(1949年のみ72ホールストロークプレー)
1961年以降は72ホールストロークプレー(2004年は悪天候のため54ホールに短縮)
INDEX

