HISTORY 組織
関西ゴルフユニオン創立
設立のきっかけは
高畑誠一が日本に紹介した
「英国ゴルフユニオン」
日本のゴルフ発祥地である関西では、JGA設立の前から、クラブ間の親睦をはかるとともに、ゴルフ競技の発展と技術の向上をめざす組織づくりの動きがあった。JGAが設立されてからは、機関はひとつに統一すべしとの意見もあったが、ロンドンから帰国したばかりの高畑誠一が伊藤長蔵に「英国のイングリッシュ・ゴルフ・ユニオンなど4つのゴルフ・ユニオンの話をして、関西でも同好の士を集めて、同じようなゴルフ・ユニオンをつくってみたらどうかと提案してみた」(『私の履歴書』高畑誠一)ことから、KGU(関西ゴルフユニオン)設立の動きが再燃する。
1926(大正15)年10月7日、関西地区各クラブの代表者により創立の会合が催された。
出席者は鳴尾ゴルフ倶楽部のJ.E.クレーン、茨木カンツリー倶楽部の広岡久右衛門、甲南ゴルフ倶楽部の伊藤長蔵、三保幹太郎、舞子カンツリー倶楽部の南郷三郎、小曽根貞松、京都カントリー倶楽部(山科)の中上川勇五郎の7人。神戸ゴルフ倶楽部、宝塚ゴルフ倶楽部からはそれぞれ委任状がでていた。
KGU設立のきっかけとなった高畑誠一。高畑は、1928年の関西アマの優勝者でもあった。「ゴルフドム」1928年5-6月合併号より転載
初代チェアマンは南郷三郎
この会合でKGUの設立と定款が決まり、初代のチェアマンにはJGAの初代チェアマンであった南郷三郎、名誉書記(Honorary Secretary)には鳴尾のJ.E.クレーン、名誉会計(Honorary Treasurer)には茨木の広岡右衛門が選出された。定款は高畑誠一が、英国ゴルフ・ユニオンにならって英文で作成したという。
また、関西オープンゴルフ選手権を36ホールのメダルプレー(ストロークプレー)で同年(1926)11月7日に茨木カンツリー倶楽部にて行うことが決定し、この選手権の競技委員として南郷三郎、 J.E. クレーン、広岡久右衛門、伊藤長蔵、中上川勇五郎の5名が選ばれた。
さらに、1927年の春には関西アマチュア選手権、秋には第2回の関西オープン選手権を行うこと、11月に第1回の開東関西対抗競技を茨木カンツリー倶楽部にて行うことが決まっている。
KGUはその後「一般社団法人 関西ゴルフ連盟」となり、関西アマチュア選手権などの関西地区の競技の運営、関係各団体との連携、ジュニアゴルファーの指導育成、ゴルフ振興に関する事業を行う組織となっていく。
参考文献:
「ゴルフドム」1926年10月号
「関西ゴルフ連盟40年史」
「私の履歴書.経済人15」1981年、日本経済新聞社
「神戸ゴルフ倶楽部100年の歩み」
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