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PERSON ゴルフの先駆者

ウィリアム・ジョン・ロビンソン

日本で2番目のゴルフクラブ
横屋ゴルフアソシエーションを設立

 

ウィリアム・ジョン・ロビンソン
William John Robinson
1852(嘉永5)-1931(昭和6) 

 1903年、日本に初めて誕生したゴルフクラブである神戸ゴルフ倶楽部は、標高800メートルを超える六甲山の山頂付近にある。当然ながら冬は寒く、ゴルフをすることは難しい(温暖化が顕著な現在も、神戸ゴルフ倶楽部は11月下旬から4月上旬までクローズしている)。
 神戸ゴルフ倶楽部の創立時からのメンバーであったウィリアム・ジョン・ロビンソンは「冬もゴルフがしたい」と考え、魚崎村(現在の神戸市東灘区魚崎南町)の浜辺に、神戸ゴルフ倶楽部の開祖であるアーサー・グルームが息子・宮崎亀次郎の名義で所有していた土地を借り受け、日本で2番目のゴルフクラブとなる横屋ゴルフアソシエーションを1904年に設立した。
 1913年、グルームが土地を売却してしまったため、立ち退かなくてはならなくなった横屋ゴルフアソシエ―ションに代わるクラブとして、鈴木商店が所有していた鳴尾速歩競馬場の跡地に鳴尾ゴルフゴルファソシエ―ションを設立(1914年)したのもまた、ロビンソンであった。
 この鳴尾ゴルフアソシエーションが再び土地問題で解散し、その跡地を活用して、1920年に設立されたのが鳴尾ゴルフ倶楽部(現在は猪名川コースに移転)である。

 

横屋で撮影されたロビンソンのスウィング。「日本のゴルフ史」より転載

 

日本初のプロゴルファー
福井覚治を育てる

 横屋ゴルフアソシエーション、そして鳴尾ゴルフ倶楽部の前身ともいえる鳴尾ゴルフアソシエーションの開祖であるW.J.ロビンソンは「オーストラリア・シドニー生まれのイギリス人で、英国系の貿易商社ジョン・スワイヤーの支店長を勤めていた」(髙木應光氏『神戸 スポーツはじめ物語』)という。
 ジョン・スワイヤーがイギリスのリバプールで1816年に創業した商社、バターフィールド&スワイヤー(Butterfield & Swire)は、1887年、神戸の外国人居留地に支店を開設している。バターフィールド&スワイヤーは当時、甜菜糖などの中国、ヨーロッパの商品を、日本最大の商社であった鈴木商店を通じて、日本へ輸出していた。
 その神戸支店長として勤めていたロビンソンは日本でゴルフを始め、1903年の神戸ゴルフ倶楽部創設時にはアーサー・グルームらとともに、創設会員名簿に名を連ねている。1905年の神戸ゴルフ倶楽部のハンディは18。主要な競技での優勝記録はないが、自らの資金で横屋ゴルフアソシエーション、鳴尾ゴルフアソシエーションを相次いで創始したことを考えれば、ゴルフへの愛情は人並みならぬものであったのだろう。
 70歳を過ぎて、コースにはあまり足を運ばなくなったが、東塩屋(現在の神戸市垂水区青山台)の自宅の庭にアイアンの打てるホールをひとつ造り、晩年までプレーを楽しんでいたという。
 横屋ゴルフアソシエ―ションの造成を手助けした土地の農家、福井藤太郎の子息であった福井覚治を、日本人初のプロゴルファーに育てたのもまた、ロビンソンだった。
 福井覚治の弟子である宮本留吉は、回想録でこう語っている。
 「ロビンソンさんのキャディーをつとめていたのが福井さんである。福井さんは小柄だがゴルフはうまく、クラブの修理も器用にこなす。ロビンソンさんは英国の例にならって、これならプロとして通用する、と考えたのだろう。『お前はプロフェッショナルになったらどうだ』と福井さんに言って、プロの第1号が誕生した」(宮本留吉回顧録『ゴルフ一筋』)
 日本のゴルフ史を語る上で、神戸ゴルフ倶楽部の生みの親、アーサー・ヘスケス・グルームの名を欠かすことはできないが、このウィリアム・ジョン・ロビンソンの功績もまた、決して忘れてはならないものと言えるだろう。

 

文/近藤雅美

 

参考文献:
「日本のゴルフ史」1930年初版、文友堂
鳴尾ゴルフ倶楽部100年誌「naruo spirit」

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