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COURSE 日本の歴史的ゴルフ場

久里浜ゴルフ場

2年足らずの存在だった
“宮様ゴルフ”

 久里浜ゴルフ場があったのは、現在の京急久里浜駅、JR久里浜駅を含めた平作側の西側、久里浜工業団地の南側一帯(神奈川県横須賀市久里浜)である。
 理事長は、紀州徳川家の第16代当主で、楽譜や音楽文献、古楽器類の収集家として知られ「音楽の殿様」と称された侯爵、徳川頼貞。コース設計は井上誠一であった。仮開場したのは1935年12月13日。朝香宮鳩彦、久邇宮朝融両殿下を迎えて式典が行われ、朝香宮が始球式を行っている。
 徳川の殿様が理事長を務め、宮様が始球式を行った詳細は定かではないが、久里浜ゴルフ場を地元の人たちは“宮様ゴルフ”と呼んでいたという。

 

嘉永館が1937年に発行した、絵葉書集「久里浜の風光」に残された久里浜ゴルフ場。地形に恵まれたコースであったことがわかる

 

幻のごとく消えた
井上誠一の18ホール 

 1937年7月に盧溝橋事件が起き日中戦争が始まると、間もなく久里浜ゴルフ場は練兵場となり、その後、食料増産のため水田や畑として開墾された。
 名設計家・井上誠一が霞ヶ関カンツリー倶楽部西コースに次いで設計した6,600ヤード、パー73の18ホールは、わずか2年足らずで、その姿を消し去ったのである。

 

参考文献:
「ふさと横須賀(下)-幕末から戦後まで」石井昭著、1987年、神奈川新聞社
「ゴルフドム」1935年12月号
久里浜地域文化振興懇話会「写真で見る久里浜の今昔」

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