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PERSON JGA

南郷 三郎

JGA、KGUの初代チェアマン

 

南郷三郎
Saburo Nango
1878(明治11)-1975(昭和50)

 南郷三郎は石川県出身の貴族院議員、南郷茂光の次男として1878(明治11)年に生まれた。東京高商(現、一橋大学)を卒業後、1900(明治33)年に日本綿花(のちのニチメン、日商岩井と合併し、現・双日)に入社。1932年に社長に就任し、堅実経営を進める中、機械、金属、木材など取扱品目を多角化、日本綿花の発展に寄与した。
 若いころから南郷はスポーツが得意で柔道、テニス、ボートなどに親しんでいたが、アキレス腱を切った際に友人の安部成嘉(横浜正金神戸支店長)に勧められ、40歳でゴルフを始めている。
 1919(大正8)年に神戸ゴルフ倶楽部に入会。鳴尾ゴルフアソシエーションのメンバーにもなっている。鳴尾ゴルフアソシエーションが土地の問題で解散すると、1920年に久保正助、羽山鍹吉と舞子カンツリー倶楽部を設立。1922年には横屋の跡地に伊藤長蔵、羽山鍹吉らと甲南ゴルフ倶楽部を設立している。1932年に設立された廣野ゴルフ倶楽部の発起人の一人でもあった。
 ハンディの最高は、50歳にならんとした頃の舞子の「7」であったという。1961年には自らが発起人であり初代理事長を務めた湯河原カントリー倶楽部で、82歳・スコア81のエージシュートを記録している。

 

東西ゴルファーのまとめ役として

 また、JGA(現・日本ゴルフ協会)、KGU(現・関西ゴルフ連盟)の初代チェアマンを務めたのも南郷三郎であった。
 1924(大正13)年10月17日に創立したJGAは、のちに3人の実行委員(コミッティ)を選出した。東京ゴルフ倶楽部の代表として大谷光明,程ヶ谷カンツリー倶楽部の浅野良三,舞子カンツリー倶楽部の南郷三郎の3人である。JGAは関東と関西の俱楽部が寄り集まったような形だったので,委員の選出はどちらに片寄ってもよくない。東西のバランスを保つことを基本的な考え方とした。そのためには東西に顔のきく人材の登用が大切なポイントになった。そこで南郷が最適とされ初代のJGAチェアマンに選ばれたのである。
 南郷はまた、1926年10月に創立したKGUの初代チェアマンにも選出されている。
 講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の門下生であった南郷三郎の生涯は、嘉納の教え「自他共栄」を実践したかのようであったという。「共に生き栄える」というその教えは、ゴルフにも生かされたに違いない。

 

文/近藤雅美

 

参考文献:
「南郷三郎回想」発行者/南郷茂治、1986年
「日本ゴルフ協会七十年史」
「垂水ゴルフ倶楽部60年の歩み」

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