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日本人プロゴルファー初めての米国本土遠征

芝の違いに苦戦した安田と浅見

 日本のプロゴルファーが初めて海外のトーナメントに参加したのが1929(昭和4)年、米国ハワイ州で開催されたハワイアンオープンだった。その2年後の1931(昭和6)年、今度は米国本土遠征が実現する。
 遠征を持ちかけてきたのは米国側。全米プロゴルフ協会のトーナメントマネジャーであるロバート(通称ボブ)・ハーローが中心人物だった。
 なぜハーローは日本人プロを米国に呼ぼうとしたのか。『日本ゴルフ協会七十年史』は「彼は、USPGAの隆盛には海外の強力なライバルが必要と考えていた。そして、将来のライバルとなるのは日本と判断、その日本人プロを育てるために、米国内のトーナメントに参加させることを思いたったのである。」と、その理由を記している。
 ハーローが日本人プロに注目したのはハワイアンオープンにおける宮本留吉らの活躍や、エキシビションで来日したウォルター・ヘーゲンらトッププロと日本の選手が好勝負を演じたという事実。まだキャリアの浅い日本人プロだったが、その潜在能力の高さを感じていたようだ。
 遠征メンバーに選ばれたのは浅見緑蔵、宮本留吉、安田幸吉の3人。10月31日から行われた日本オープンの上位3人(1位浅見、2位宮本、3位安田)だった。年齢は宮本29歳、安田26歳、浅見は23歳。宮本と安田はハワイアンオープに続く2回目、浅見は初めての海外遠征となった。
 11月11日、3人は横浜港から東海丸で出発した。サンフランシスコに上陸したのは23日。現地のプロやハーローと日本側の橋渡し役となった現地在住のトップアマ佐藤儀一らが出迎えた。一行はオープンカーに乗せられ、パトカーの先導で表敬訪問のためにサンフランシスコ市庁舎に向かうなど歓待を受けた。
 彼らが参加したのは西海岸を中心にしたウィンターサーキットと呼ばれる一連のトーナメントである。現在の米ツアーの原型といえるものだ。
 最初に出場したのはサンフランシスコマッチプレー選手権。全米からスター選手が集うビッグトーナメントである。プロ3人のほか、案内役として帯同する佐藤も出場した。

 

「サンフランシスコに到着した東海丸の船上で出迎えに来た現地のプロらと撮影したもの。左から浅見緑蔵、カリフォルニア州PGAのロングワース会長、宮本留吉、オーリン・デュトラ、安田幸吉、ベン・コートリン(日本プロゴルフ協会30年史より)」

 

 ストロークプレーによる2日間の予選でマッチプレーに進む32人を決める競技方法で、宮本、浅見、佐藤が通過した。宮本の1回戦の相手はこの年の全米オープン覇者であるビリー・バーク。劣勢から追いつき、延長に持ち込んだが惜しくも敗れた。佐藤も1回戦で姿を消している。
 最も奮闘したのは浅見である。ハロルド・マックスペイドンを破って見事に1回戦を突破したのだ。2回戦では当時マッチプレーで争っていた全米プロを2回制していたマッチプレー巧者のレオ・ディーゲルと対戦して5-3で敗退した。
 佐藤を含めて4人中3人が予選を通過し、マッチプレーでも米国の強豪と互角に渡り合ったのだから健闘と言っていいだろう。ゴルフ誌の『ゴルフドム』は宮本に辛勝したバークが「かつて戦った選手の中で最も偉大な1人」と宮本を称賛したという記事を掲載しているほどだ。
 その後は年内に1試合、年が明けてからロサンゼルスオープンなど3試合に出場した。いずれもストロークプレーのトーナメントで、プロ3人は苦戦した。4試合中、浅見が2試合で予選を通過しただけで、宮本と安田は一度も決勝ラウンドに残れなかった。むしろ佐藤のほうが好成績で4試合とも予選を通過している。
 この後、トーナメントは西海岸を離れて東へと向かっていくのだが、宮本だけが引き続いて参加し、安田と浅見は帰国することになった。3人の遠征費用は所属クラブが会員に寄附を募って集めたもの。選手によって額が異なったこともあり、安田と浅見は当初からここまでという予定だった。安田と浅見は遠征を続けたいと日本に打電したが、願いはかなわなかった。
 安田と浅見は3月10日、横浜港に戻って来た。『ゴルフドム』は帰国直後の2人を取材している。その記事によると、2人は苦戦した要因に芝の違いを挙げている。特にグリーンの芝が日本と異なり、やわらかくてスピードが出ることに戸惑ったようだ。アプローチはスピンがかかり過ぎて止まり、パッティングは速すぎて3パットが多かったという内容の記事が掲載されている。

文/宮井善一


参考文献
『日本ゴルフ協会七十年史』
『ゴルフドム』1932年1月号、2月号、3月号
『ゴルフに生きる 人生八十年“ただ一筋”』安田幸吉著
 

 

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