HISTORY プロゴルファー
戸田藤一郎、日本オープン最年長優勝
48歳で日本オープン制覇
三重県の四日市カンツリー倶楽部(6955ヤード、パー72)で開催された1963年日本オープンゴルフ選手権の主役は48歳の戸田藤一郎だった。
9月18日の大会初日、戸田は4連続バーディを奪うなどコース新の5アンダー、67を叩き出す。ほかのプレーヤーは戸田のスコアに近づけない。中村寅吉ら2位グループは3打差をつけられていた。
戸田は戦前、圧倒的な存在感を放ったプレーヤーである。1939年には日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロを制し、当時の年間グランドスラムを達成している。
ただ、戦後は1949年に関西オープンの戦後最初の大会に勝ったのを最後に優勝からは遠ざかっていた。所属コースとのトラブルでトーナメントから離れざるを得なくなったからだ。復帰がかなったのは1959年のことだった。
復帰後、日本オープンでは1960年こそ6位に入ったものの、翌1961年は予選落ち、1962年は優勝した杉原輝雄に14打差をつけられて下位に沈んでいる。加えてあと2カ月余で49歳という年齢的な衰えもある。そんな老兵の首位発進は驚きを持って迎えられた。
風が強くなった2日目、戸田は75と苦戦して2位に後退する。代わって首位に立ったのは通算4アンダーとした石井朝夫。戸田と同じく2打差2位には杉原輝雄、石井迪夫がつけた。
戸田藤一郎(とだ・とういちろう)。1914~1984年。兵庫県出身。1933年、18歳で関西オープンに勝ち、19歳で関西プロ、20歳で日本プロと若くして数々のタイトルを獲得。1939年には日本プロ、日本オープン、関西プロ、関西オープンに勝ち、当時の年間グランドスラムを達成した。1971年には56歳で関西プロを制している
24年ぶりの大会2勝目
最終日は36ホールの戦いである。風が弱まり、戸田は再び好プレーを展開する。70をマークし、通算4アンダーで首位奪回。69で回った細石憲二が戸田と首位を分けた。1打差3位は杉原。石井朝は74で後退した。
午後の最終ラウンド、杉原が2番の1打目をOBとして後退する。戸田と細石のマッチレースの様相を呈してきた。
2人が競り合いながらもつれ込んだ終盤、細石が15、16番とパットをミスして戸田がリードを奪う。細石は気落ちしたのか17、18番もボギーとして3位で終了した。戸田は終盤盛り返してきた杉原を2打抑えて実に24年ぶりの大会2勝目。「もうこれで死んでも本望や」と口にした。
48歳での日本オープン制覇はこの5年前に中村寅吉が打ち立てた43歳を塗り替える最年長記録。今なお、この記録は輝き続けている。
文/宮井善一
1963年、第28回日本オープンゴルフ選手権、主な成績
順位 | 選手名 | 1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | Total | Par |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 戸田 藤一郎(田辺) | 67 | 75 | 70 | 71 | 283 | -5 |
2 | 杉原 輝雄(茨木) | 71 | 71 | 71 | 72 | 285 | -3 |
3 | 細石 憲二(下関) | 74 | 69 | 69 | 74 | 286 | -2 |
4 T | 石井 朝夫(中山) | 71 | 69 | 74 | 73 | 287 | -1 |
石井 迪夫(芦屋) | 70 | 72 | 73 | 72 | 287 | -1 | |
6 | 安田 春雄(関東PGA) | 73 | 71 | 70 | 74 | 288 | E |
7 T | 陳 清波(東京) | 72 | 73 | 74 | 70 | 289 | +1 |
韓 長相(韓国) | 75 | 74 | 70 | 70 | 289 | +1 | |
9 T | 前田 利光(関西PGA) | 74 | 73 | 69 | 74 | 290 | +2 |
内田 繁(関東PGA) | 74 | 73 | 73 | 70 | 290 | +2 |
参加者数 98名(アマ27名)
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