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樋口久子、通算70勝

驚異のハイペースで
優勝を積み上げた樋口久子

 1967年の第1回女子プロテストでトップ合格を果たした樋口久子は他の選手が足元にも及ばないハイペースで勝ち星を重ねていった。10勝目を挙げたのは1971年の東海クラシック。自身出場13試合目のことだった。つまり、この時点で勝てなかったのは3試合だけだったことになる。
 20勝目は1973年のラコステカップ日米対抗。米国の選手を抑えての7打差快勝だった。この時点で優勝数2位は3勝の山崎小夜子。それくらい初期の女子ツアーは樋口の独壇場だったのである。
 国内だけでなく1974年には豪州女子オープンで海外初勝利を飾り、1976年にはコルゲート欧州女子オープンで日本選手初の米女子ツアー優勝を果たす。翌1977年には全米女子プロでついにメジャー制覇も成し遂げた。
 海外での勝利も含め、樋口は30勝、40勝、50勝と区切りの勝利に誰よりも早く到達していく。その都度、周囲の注目度は高まり、同時に本人が感じる重圧も増していった。
 60勝目を挙げた時、樋口は37歳になっていた。前年の8月に59勝目をマークしてから2位が5回。期待と落胆が何度も交錯した。
 難産の末に1983年4月の紀文レディースで1打差の勝利をつかんだ。重圧から解放されたからか、樋口はこの年、4年ぶりに5勝を挙げている。

 

賞金女王11回も樋口久子(1945~)の持つ大記録。1997年から14年間、日本女子プロゴルフ協会の会長を務めた

 

20年連続優勝の大記録も
同時に達成 

 1986年10月、富士通レディース、ツムラ・五木クラシックと連勝して通算69勝。節目の70勝に王手をかけ、またもや周囲が騒がしくなってきた。
 この年は残り出場4試合で優勝には届かず年越し。翌1987年、開幕から4戦目のヤマハカップレディスでその時がやってきた。
 通算1アンダー、1打差の首位で迎えた最終日、朝食が喉を通らないほどの緊張に体が支配されていた。
 序盤、2度の3パットボギーで一時は首位から陥落する。それでも、粘りのゴルフで再び首位に立ち、最後は米国から参戦していたクリス・ジョンソンの追い上げを1打差で交わし、通算1オーバーで勝利のゴールに飛び込んだ。
 前人未踏の通算70勝を挙げた4月12日は母・安代さんの78回目の誕生日。最愛の母に最高のプレゼントを贈った。
 この勝利で樋口はもうひとつの大記録を打ち立てている。初勝利を飾った1968年以降、毎年最低1勝を挙げており、これで20年連続優勝というこれまた前人未踏の快挙となったのだ。
 樋口自身はこの20年連続優勝に大きな評価を与えている。大きな故障や病気もなく、健康な体でプレーを続けられたからこそ築き上げられた大記録である。
 この連続年優勝はここで止まった。理由はおめでたである。この年の7月から産休に入り、翌1988年は1試合もプレーしなかった。
 復帰後、樋口はさらに2勝を積み重ね、通算優勝数を72(国内69勝、海外3勝)にまで伸ばしている。

 

文責・宮井善一

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