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岡本綾子、米女子ツアーで賞金女王に

1987年米ツアー、
賞金女王の行方は日本での最終戦に

 1987年、米女子ツアー参戦7年目を迎えた岡本綾子は4月に京セライナモリクラシックでシーズン初優勝。5月には一時帰国して出場したコニカカップワールドレディスを制すると、すぐに米国に戻って翌週のクライスラープリモスクラシックでも勝った。
 6月にはレディキーストンで8打差23位からの大逆転。8月にはネッスル世界選手権も制してシーズン4勝目を挙げた。
 9月末時点で岡本は賞金ランキング2位につけていた。1位は賞金女王経験者のベッツィ・キング、3位はシーズン5勝を挙げているジェーン・ゲディスだった。
 米女子ツアーは10月には試合がなく、岡本は10月2日に帰国。国内で試合をこなしながら11月の米女子ツアー最終戦、日本開催のマツダジャパンクラシックに備えた。
 ここまでのキングの獲得賞金は44万2010ドル、岡本は43万3659ドル。その差は8351ドルだった。ゲディスは39万3326ドルと少し離れた位置にいる。岡本とキングはわずかな順位の違いによってひっくり返るほどの僅差である。
 ポイントで争うプレーヤー・オブ・ザ・イヤーは、さらなる激戦。岡本、キング、ゲディスが64ポイントで並び、最終戦の順位がそのまま結果につながるという白熱ぶりだった。

 

1987年、コニカカップワールドレディスで優勝した岡本綾子

 

最終組は日本のライバルたち 

 最終戦、マツダジャパンクラシックの会場は埼玉県の武蔵丘ゴルフコース。11月6日の初日、岡本は4バーディー、ボギーなしの68で回り、1打差2位と好スタートを切った。ゲディスも2位。一方でキングは73で13位とやや出遅れた。
 2日目、岡本は1番ホールでバーディーを奪った後はすべてパー。通算5アンダーで2位の座を守った。
 首位には通算10アンダーとした森口祐子が立ち、日蔭温子が岡本と並んで2位につけた。キングは10位とやや上昇。岡本との差は5打である。ゲディスは78と乱れ、17位に後退した。
 米女子ツアーの強豪が大挙出場しているにもかかわらず、最終日最終組は岡本、森口、日蔭とすべて日本選手となった。森口も日蔭もかつては岡本と共に米女子ツアーで戦った身。特に森口は岡本と同じ年(1981年)に予選会を突破して出場権をつかんだ仲である。
 最終日は1万5000人を超える観客が詰めかけたと記録されている。歴史的な偉業を期待する熱気と緊張感がコースにあふれていた。
 岡本が勝てば文句なし、2位の場合はキングが3位以下なら逆転女王。岡本が3位ならキング5位以下が条件だった。

 

 首位の森口が1番で幸先よくバーディーを奪い、アウトで3つスコアを伸ばす。3組前を回るキングも8番までで3アンダー。一時は岡本に2打差にまで迫った。だが、9番パー5で2オンしながら3パットでパー。勢いが止まった。
 岡本はアウトを3バーディー、1ボギーで折り返す。日蔭は37。岡本は単独2位になっていた。
 インに入って岡本は2パットのパーを重ねていく。16番でイン初バーディー。キングとは6打差となり、逆転女王は確定的になった。
 十重二十重のギャラリーが取り囲んだ18番グリーン、岡本が単独2位を、そして賞金女王を決めるパーパットを入れる。拍手が鳴り響く中、深々と頭を下げた。
 続いて森口がウイニングパットを決める。彼の地で叶えることができなかった米女子ツアー優勝の夢を日本で果たした。

 

日本で行われた最終戦、マツダジャパンクラシックで初の賞金女王となった岡本綾子

 

米国選手以外初の賞金女王 

 アテストを終えた岡本を米女子ツアーの仲間たちが担ぎ上げた。パティ・リゾやジュリ・インクスター、賞金女王を争ったゲディスもいる。初めての米国選手以外の賞金女王の誕生を、米国選手たちが心から祝福したのだ。
 米女子ツアー参戦後、岡本は徐々に賞金ランキングを上げ、1984年には最終戦まで賞金女王争いを繰り広げて3位に食い込んだ。だが、翌年は腰を痛めて夏以降はツアーを離脱。一時は歩くことすらままならなかった。そんな苦難を乗り越えてつかんだ頂点。36歳の岡本が名実ともに”世界のアヤコ”となった。

 

文責/宮井善一

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