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PERSON トップアマ

フランシス・ブラウン

ハワイ代表チームのキャプテンとして
1929年に来日

「ゴルフドム」1929年11月号より転載。右は大谷光明

 

フランシス・ブラウン
Francis Hyde Ii Brown 
1892(明治25)-1976(昭和51) 

 ハワイ準州(当時)の上院議員でゴルフのトップアマとして知られたブラウンは、JGAが招待したハワイチームのキャプテンとして、1929年9月28日に来日。29日に東京ゴルフ倶楽部で日本代表チームと日米対抗戦、10月2日には茨木カンツリー倶楽部で関西チームと対戦した。
 日本代表との試合は7−4で日本チームが勝ち、関西チームとの対抗戦は引き分け。これは日本のアマチュアにとって、初めての外国チームとの国際対抗試合であった。
 ブラウンはまた、第22回日本アマチュアゴルフ選手権(武蔵野カンツリー倶楽部六実コース、10月17-20日)に出場。「初めて日本アマの優勝カップが海を越えた」(過去に優勝した外国人選手はすべて在留外国人)といわれた優勝者となっている。1929年11月号の「ゴルフドム」はこのブラウンの優勝を以下のように報じている。
「従来我国のGolf界と云えば赤星兄弟或は川崎(注、肇)其他ニ三の人の天下で世は太平なものであつたが恰も徳川三百年鎖国の夢がペルリ来航で破られたる如く孤島で独りよがりの夢もFrancis Brown の来朝で覚醒されたとすれば今後の飛躍期して待つべく今年のchampionshipは特に記念すべき理由がある」

 

日本人プロ、海外派遣の橋渡し

 この年、茨木の宮本留吉、東京・駒沢の安田幸吉がフランシス・ブラウンらの招待を受け、11月15日から開催されたハワイアン・オープンに参加した。これは日本人プロとして初となる海外試合参戦であった。
 ハワイの名家の出であり、政治家、慈善事業化、そしてハワイを代表するアマチュアゴルファーであったブラウンの来日は、宮本留吉ら日本のプロたちが、海を越えて世界に羽ばたくきっかけとなったのである。

 

フランシス・ブラウンのアイアンショット。ゴルフドム、1929年11月号より転載

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