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COURSE 日本の歴史的ゴルフ場

茨木カンツリー倶楽部

日本で二番目に古い現存する18ホール

 茨木カンツリー倶楽部より先に開場した18ホールのコースとしては兵庫県の神戸ゴルフ倶楽部と神奈川県の程ヶ谷カントリー倶楽部があるが、程ヶ谷は1967年に元のコースを閉鎖し新コースに移転した。このため、現存する18ホールのコースとしては神戸ゴルフ倶楽部に次いで古いコースとなる。
 神戸ゴルフ倶楽部は在留外国人たちが作った倶楽部である。一方、茨木は海外でゴルフを経験した広岡久右衛門正直たちが有志を募って立ち上げた。創立発起人12人はいずれも地元大阪の経済人もしくは豪商の当主であった。日本のゴルフ黎明期が一段階進んだことがうかがえる。

 

1923年に創立、1925年に開場した茨木カンツリー倶楽部東コース。原設計は英国人プロのダビッド・フード。加賀正太郎、C.H.アリソン、井上誠一などが改造し現在に至る

 

名匠たちが心血を注いだ36ホール 

 1925年に開場した東コースは当初5812ヤードPAR69でスタートしたが、創立メンバーだった加賀正太郎がすぐに改造に着手、6300ヤードPAR72に仕上げた。1931年にC.H.アリソンが来場しいくつかのホールの改造を提案、倶楽部はそれを実行した。その30年後、西コースを新設するに際し、井上誠一がスタートホールの変更や3つのホールの新設と移設を伴う改造をした。
 一方、西コースは井上誠一の設計で1961年に開場した。50年後の2011年、多くの全米オープン開催コースの改造を手がけるリース・ジョーンズが2グリーンを1グリーンに改めるなど改造を施した。これらの名匠たちのコース作りを経て、東はクラシックな雰囲気を守り、西は対照的に、ナショナルオープンを開催するにふさわしいモダンなチャンピオンコースとして現在に至る。
 よく知られるように、井上誠一はC.H.アリソンと出会ったことでコース設計家の道を志した。日本のゴルフ史に欠かせない、二人の名前が同居するのは霞ヶ関カンツリー倶楽部と茨木以外にはない。

 

井上誠一が設計し、リース・ジョーンが改造した西コース。写真は14番ホール

 

ほぼ借地なしで現在に至る

1973年の日本オープン。優勝したベン・アルダ(右)と痛恨のミスショットで優勝を逃した青木功(左)

 茨木より先行して開場したいくつかのコースは借地であったために、周囲の環境の変化により移転を余儀なくされた。一方、茨木は創立メンバーらが資金を拠出して「茨木ゴルフ土地組合」を設立して用地を購入した後、倶楽部に一切を寄付する形をとった。1961年の西コース新設の際も用地を買収して取得、現在に至るまでほぼ借地なしの経営を継続している。周辺は大いに開発が進んだが、コースは100年前の開場時の佇まいを今に伝えている。

 

日本オープンなど名勝負の記憶が刻まれる

 茨木では、開場した翌年1926年に早くも第1回日本プロゴルフ選手権(宮本留吉優勝)、第1回関西オープンゴルフ選手権(福井覚治優勝)を開催、1928年には第21回日本アマチュアゴルフ選手権(赤星四郎優勝)を開催した。これらを始め、数多くの公式競技の開催コースとなった。
 なかでも日本オープンゴルフ選手権は東と西を合わせ通算6回の開催を数える。戦前、倶楽部所属の宮本留吉が東コースで3勝を飾った。西コースでも3回の開催を数え、1973年には青木功とフィリピンのベン・アルダの優勝争いが最終18番ホールまでもつれこみ、青木功が痛恨のミスショットで念願の日本オープン初優勝を逃すなど、名勝負の記憶が刻まれている。

 

プロを育てる「茨木一門」

 1926年、茨木に6人のプロが集まり第1回日本プロゴルフ選手権が開催された。優勝したのは茨木所属の宮本留吉だったが、翌1927年の第1回日本オープンでプロたちはアマチュアの赤星六郎に歯が立たなかった。そこで倶楽部は宮本を東京ゴルフ倶楽部に‘留学’させ、技術の向上を促した。1932年、宮本は倶楽部の資金援助を得て渡米、トーナメントに出場し、ダブルスのエキシビションマッチでボビー・ジョーンズに勝つなどの成果をあげた。宮本はさらに、日本人として初めて全英オープンと全米オープンに出場した。こうした経験を糧に、日本オープンゴルフ選手権通算6勝の実績を積み上げた。
 茨木は戦後も杉原輝雄や宮本省三らを輩出、地元出身者が多く「茨木一門」と呼ばれるようになった。一門には宮本留吉の口癖、「茨木のプロとして恥ずかしくないよう、お行儀ようしなはれ」の精神が受け継がれていたという。

茨木カンツリー倶楽部開場時からの所属プロで第1回日本プロの優勝者、宮本留吉(左)とプレーオフで敗れた福井覚治

 

一般社団法人 茨木カンツリー倶楽部

創立 1923年12月24日、社団法人茨木カンツリー倶楽部創立総会
開場 1925年10月1日18ホール開場
所在地 大阪府茨木市
コース設計 東コース~ダビッド・フード、改造:加賀正太郎、C.H.アリソン、井上誠一、服部彰
西コース~井上誠一、リース・ジョーンズ改造
クラブハウス設計 渡邊節
主な公式競技 日本オープン1929年、1930年、1932年(以上東コース)
同 1973年、1996年、2023年(以上西コース)
日本女子オープン2006年(西)
日本アマ1928年、1931年、1954年(以上東)1968年(西)
日本女子アマ1958年(東)1965年(西)
関西オープン1926年、1928年、1930年、1933年、1936年、1953年、
1957年、1966年、1971年(以上東)
日本プロ1926年、1927年、1959年(以上東)
アジアパシフィックオープン2008年、2013年、2016年(以上西)
主な所属プロ 宮本留吉、木本三次、寺本金一、杉原輝雄、宮本省三

参考文献:茨木カンツリー倶楽部創立100周年記念誌 

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