COURSE 日本の歴史的ゴルフ場
京都カンツリー倶楽部山科C
山科の地に造られた
京都初のゴルフクラブ
京都初のゴルフクラブ、京都カントリー倶楽部が山科のちに誕生したのは1925年のことであった。その誕生の経緯を摂津茂和は下記のように記している。
「大正13年(1924)大阪に茨木カントリー倶楽部が創立されたのに剌戟され、京都でも山田啓之助、芝原嘉兵衛、大倉治一、田二郎、川勝正之、田辺降二氏らの 主唱で、ゴルフ倶楽部創立の気連が次第に熟した。これらの人は、まず手はじめに京都中京区東洞院四条上るにあった空地ヘバラックのインドア練習場をつくり、神戸より日本最初のプロ福井覚治と、その弟子の宮本留吉を週2回招聘して、ゴルフの基本練習を開始して いたが、その後次第に同好者がふえたので、翌大正14昭(1925)1月、大谷光明、大谷尊由両氏の協力を得て、 京都カントリー倶楽部を創立した」(摂津茂和著『日本ゴルフ60年史』有明書房)
程ヶ谷カンツリー倶楽部でプレーする大谷尊由(写真右)。左は朝香宮殿下。『ゴルフドム』1929年2月号より転載
関西初の日本アマ優勝者
成宮喜兵衛を輩出
コースが造られた場所は京都市東山区山科東町(現在の京都市山科区)。当初は6ホールを3ラウンドしてパー63ほどのコースであったが、後に大谷光明、中上川勇五郎の設計で9ホールとなった。
京都カントリー倶楽部ヤーデージ
1 | 242 | 4 |
2 | 156 | 3 |
3 | 462 | 5 |
4 | 246 | 4 |
5 | 136 | 3 |
6 | 282 | 4 |
7 | 96 | 3 |
8 | 254 | 4 |
9 | 378 | 4 |
Total | 2252 | 33 |
『日本ゴルフ60年史』より(一部修正)
初代の理事長は大谷尊由(おおたにそんゆ)であり、尊由が54歳の若さで逝去したため、兄の大谷光明が二代目の理事長となっている。浄土真宗本願寺派第21世法主・大谷光尊の子息であり、ゴルフの先駆者として知られた光明、尊由両氏の貢献がなければ、京都市内から至近のこの地に、ゴルフコースを造成することは難しかったことだろう。
京都カントリー倶楽部は1926年の関西ゴルフユニオン(現在の関西ゴルフ連盟)創立に参加した7クラブの一つでもあり、関西のクラブに所属する初の日本アマ優勝者となった成宮喜兵衛(1932年の日本アマ優勝時は茨木カンツリー倶楽部の所属)などのトッププロを輩出するに至ったが、太平洋戦争の影響を受け、1944年11月に閉鎖されている。
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