COMPETITION 過去の競技
東西対抗
ウォーカーカップにならい始まった
アマチュア東西対抗
1924(大正13)年に創立した日本ゴルフ協会は、4年目の1927(昭和2年)に主催競技の改革と創設に着手した。
ひとつは、日本アマチュアゴルフ選手権の競技方法の変更。それまでの36ホールストロークプレーからマッチプレーに変更。同選手権はまず36ホールストロークプレーによる予選(クオリファイ競技)を行い、その上位8選手が翌日からのマッチプレー(準決勝までは18ホール、決勝戦は36ホール)に進出する競技方式に変更した。
ふたつ目は、日本オープン競技の創設。第1回大会を同年5月28日~29日、程ヶ谷カントリー倶楽部で実施した。
もうひとつが、アマチュア東西対抗の創設である。これはR&Aと全米ゴルフ協会の共催ゲームで、1922年に始まったイギリスとアイルランドの連合チーム対アメリカのアマチュア対抗戦「ウォーカーカップ」にならって企画された。
1927年の第1回大会は
関東チームが勝利
出場選手は、静岡県から東を関東、愛知県から西を関西に二分、各14人を超えない選手数でチームを構成。1日競技で、前半はダブルスの5マッチ、後半はシングルスの10マッチを行った。
第1回は1927年11月6日、大阪の茨木カンツリー倶楽部を舞台に「関東関西対抗競技」として実施。大谷光明キャプテン率いる関東チームが11対4で勝利した。そして、優勝チームには朝香、東久邇、李の三宮殿下から下賜された賜杯が贈られた。
前列左から、赤星四郎、室谷藤七、白石多士良、松本虎吉、中野武二、中上川勇五郎、岡庄五、田中善三郎。中列左から、野田吉兵衛、H.C.クレーン、南郷三郎、大谷光明、加賀正太郎、伊地知虎彦、徳川誠、野村駿吉。後列左から、石角武夫、ボーリンガル、ハンコック、首藤安人、ブッチャー、髙畑誠一、スコット、ボローマン、赤星六郎、川崎肇、J.E.クレーン。写真は「ゴルフドム」1927年10-11月合併号より転載
この対抗戦は、以降は関東・関西で交互に開催。1930年の第4回大会からは、選手・関係者の負担軽減を目的に、基本的に日本アマチュア選手権の前後の日程で、同選手権の開催コースもしくは周辺のコースで行われた。戦前は1940年まで14回、戦後は1950年に再開し、1970年までの21回、計35回開催され、対戦成績は関東の20勝12敗3分けで対抗戦の歴史を終えている。
文/小関洋一
参考文献:
「日本ゴルフ協会七十年史」
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