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第1回関東プロゴルフ選手権開催

1931年8月10日、関東プロゴルフ協会、
初のトーナメントが開幕

 1931年、関東プロゴルフ協会と関西プロゴルフ協会が相次いで設立された。1920年に福井覚治が国内初のプロゴルファーとなってから11年、プロゴルファーの人数は関東、関西共に10人を超え、ゴルフ界の重鎮たちがプロのための団体設立を提唱したからだ。
 関東では赤星四郎や石井光次郎(後の日本ゴルフ協会会長)らが設立を進め、森村市左衛門(後の日本ゴルフ協会会長)が会長に就任。当時の名称は関東職業ゴルファース協会だった。
 協会初の事業として開催したのが第1回の関東プロゴルフ選手権だった。会場は神奈川県の程ヶ谷カントリー倶楽部。16人が参加して8月10日に開幕した。

 

浅見緑蔵が初代王者に

 初日は36ホールストロークプレーの予選が行われ、2日目以降はマッチプレーで雌雄を決する競技方法だった。予選トップは148で回った小杉広蔵。上位8人をAクラス、下位8人をBクラスとしてそれぞれマッチプレーのトーナメントを行った。
 11日は1回戦と準決勝が行われ、予選トップの小杉は1回戦で山本増二郎を4-3で下した。準決勝の相手は浅見緑蔵である。
 浅見は兵役のため2年間試合から遠ざかっており、この関東プロが復帰戦だった。予選こそ151で5位と平凡な成績だったが、決勝トーナメントでは兵役前に日本プロと日本オープンを制している実力を見せつける。1回戦で中村兼吉を3-2で下し、準決勝では小杉を3-2で破って決勝に進んだ。

 

1931年、アメリカ遠征を行った3人のプロたち。左から浅見緑蔵、宮本留吉、安田幸吉。目黒書店「GOLF」1932年より転載

 

 もうひとりの決勝進出者は関東で初めてプロとなった安田幸吉だった。予選を150の3位で通過した安田は1回戦で中上数一を2アップ、準決勝では小池国喜代を2-1で退けていた。
 浅見と安田という実力者同士の決勝は36ホールの戦いだった。午前9時にスタートした決勝は序盤こそ互角の戦いだったが途中から安田にミスが目立ちはじめ、逆に程ヶ谷がホームコースの浅見は勢いのあるプレーでパーとバーディを重ねていく。終わってみれば11-10の大差で浅見が第1回大会を制した。
 浅見はこの年の秋、日本プロと日本オープンを制して史上初の年間3冠を達成している。
 Bクラスは予選9位、すなわちBクラスでは予選最上位だった程ヶ谷所属の渡辺澄夫が頂点に立った。 

 

文/宮井善一

 

参考文献:
「日本ゴルフ協会七十年史」
「ゴルフドム」1931年9月号

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