HISTORYに関する記事

HISTORY 組織

北海道ゴルフ連盟の発足

小樽、札幌らが中心となり、
1933年、法改造ゴルフ連盟を創立

 北海道のゴルフの歴史は古く、函館競馬場内に6ホールのコースを造成した函館ゴルフ倶楽部(1936年、現所在地の函館市見晴町の新コースを開場)と銭函カントリー倶楽部(現・小樽CC銭函コース)が1928(昭和3)年ごろに相前後して開場。続いて、イタンキゴルフクラブが1930(昭和5)年4月13日(1931年に室蘭ゴルフ倶楽部と改称)、旭川ゴルフ倶楽部(旧・旭山ゴルフリンクス)が1931(昭和6)年6月6日、札幌ゴルフ倶楽部(旧・月寒リンクス)が1932(昭和7)年にそれぞれコースをオープン。各クラブとも1933年~1937年にかけて日本ゴルフ協会に加盟した。戦前はこのほかに、洞爺湖リンクスという9ホールのゴルフ場があった。

 

1930年に開場したイタンキゴルフクラブ。イタンキ浜に面したリンクスコースだった

 

 「今日では北海道に7つのゴルフ場がある。即ち函館、銭函、札幌、旭川、室蘭、洞爺湖及び夕張等である。もっともそのうち夕張は6ホールスのしかもごく短距離のもので、ドライバーは僅かに一回しか使えないような全く練習場としての域を脱しないものであるから、これを除いても6ケ所はある。しかしてこれらのゴルフ場はまったく昭和の産物のみで、一番古いのは銭函、函館、室蘭等である。一番新しいのは夕張を除いては札幌である」(「北海道ゴルフ五拾年史」に転載された雑誌「GOLF」昭和10年新年号。現代表記に書き換え)
 1933(昭和8)年、こうしたゴルフクラブの間から北海道ゴルフ連盟創設の声が上がる。
「北海道に夕張を除いても6ホールス以上のゴルフ場が6ケ所もあるので、北海道としてのインター倶楽部マッチや選手権競技をやるのも面白かろうし、各俱楽部員の懇親も必要であると考えたので、昭和8年の春室蘭の方に行って有志の方々に相談した所、それでは是非とも北海道ゴルフ連盟(注:戦前は「聯盟」と表記)を造って貰いたいということであった。しかしこれが結成には少し世論を起こさなくてはならぬので、昨年は幸い札幌倶楽部でアウトを開いたのでその披露かたがた倶楽部が他の各倶楽部を招待して対倶楽部競技と北海道選手権競技開催し、その節各倶楽部より集まった会員の懇親会を開きその席上室蘭の織田君より提議してもらい北海道ゴルフ連盟結成の議を問題にした所が満場一致賛成せられ銭函及札幌のキャプテンにその設立委員を委嘱した。そこで設立委員に於いて規約を制定し各倶楽部の賛同を得た上で幹事の推薦を仰ぎ本年6月3日幹事会を開きここに全く連盟の成立を見た様な次第である」(同)
 こうして1933(昭和8)年6月3日に創設された北海道ゴルフ連盟は、翌1934年(昭和9)、札幌ゴルフ倶楽部がインの9ホールを完成させ、18ホールとなったのにあわせ、対倶楽部競技と北海道選手権競技を開催した。
 「北海道連盟として別に大なる抱負を以って居るのではないが年々これらの競技を行ってゴルファースの親睦を厚くし、技術の向上を計って見たいのである。今の所日本ゴルフ連盟(注:原文のまま)では関東と関西とに二分して対抗仕合をしている様であって、北海道は関東の方へ入っているそうである、将来北海道が発展して来れば満州連盟と共に日本ゴルフ界を4分し関東、関西、北海道、満州とし、それぞれ対抗仕合なり選手権を競う様になって見たいと思う。しかしこれは痴人の夢として終わることかも知れぬが、それ位の元気は持って居る。但しこれは我々の時代ではなく我々が隠退して第二代ないし第三代頃のことであろうと気永に楽しんでいる次第である」(同)
 しかし、これらのゴルフ場は1941(昭和16)年の太平洋戦争突入後は、次々とその姿を消すことになった。

 

現在の小樽カントリー倶楽部旧コース

 

 太平洋戦争による18年の空白を経て
1958年に再建された、北海道ゴルフ連盟

 戦後、北海道ゴルフ連盟が再建されたのは1958(昭和33)年。「北海道ゴルフ連盟五拾年史」には次のように記されている。
 「昭和33年10月25日、札幌ゴルフ倶楽部が世話倶楽部となり、戦後初めてのインタークラブ・マッチを真駒内ゴルフ場で開催、18年間に及ぶ空白を埋めて、倶楽部相互の親睦を深め連携の緊密化を図ることを目的とする北海道ゴルフ連盟の結成を約し、規約の制定、役員の選出、主な事業及び分担金の拠出等に関する原案を了承し、昭和34年4月6日札幌グランドホテルに於いて「北海道ゴルフ連盟に関する打合会」を開催、次の事項を決議して事業活動に入る」
 ここにある「真駒内ゴルフ場」だが、札幌ゴルフ倶楽部のホームページに次のような記述がある。
 「戦後、米軍の真駒内駐留軍キャンプクロフォードゴルフコースにおいて日本人プレーが許されるようになり、その邦人プレーヤーの団体である札幌カントリー倶楽部が昭和27年に結成されました。この役員会で、昭和30年3月14日同倶楽部理事会において、仮称札幌ゴルフ倶楽部の創設と新設コース建設による日本人専用倶楽部とコース造成が決議されました」
 なお、「北海道ゴルフ連盟」再建時、道内では以下のクラブがコースを再開・新設させていた。

 

1953年:小樽(銭函コース、9ホール再開)、函館(見晴コース、9ホール再開。1947年に米軍の要請により3ホールが造成され、使用が再開されていた)
1954年:室蘭(イタンキコース、9ホール再開)、苫小牧(9ホール新設。1952年に王子ゴルフ・リンクスとして4ホールのコースを造成。1954年、9ホールになった)
1957年:旭川(台場コース、9ホール新設)
1958年:釧路(緑ヶ岡コース、9ホール新設)、札幌(輪厚コース、18ホール新設)

 

 文/小関洋一
 
 

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