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神戸ゴルフ倶楽部、初の日本人会員

プレーの記録が残るのは
1905年入会の小倉庄太郎

 神戸ゴルフ倶楽部でプレーした記録が残る初の日本人会員は、1905年に入会した小倉庄太郎である。日本初のゴルフ歴史書である「日本のゴルフ史」に、著者の西村貫一は、こう書き記している。
 「日露戦争当時、六甲に住宅を持っていたただ一人の日本人 Mr. Shotaro Ogura は、1905年に会員になって妹さんと時を同じうしてゴルフをしていました。氏が日本人として最初のゴルファーであります」
 1903年の神戸ゴルフ倶楽部入会者には、神戸川崎銀行頭取、川崎汽船社長などを歴任した川崎芳太郎、川崎造船所の社長で「松方コレクション」で知られる美術品収集家・松方幸次郎など7人の日本人の名が見られる。しかし、ハンディキャップ、競技成績などに名前はなく、この6人は名誉会員的な扱いで、実際にコースでプレーすることはなかったのではないかと思われる。
 1904年には、横浜正金銀行の安部成嘉(横屋ゴルフアソシエーション唯一の日本人会員)、Fujita Haitaro(藤田平太郎か)の名があるが、いずれも当時はゴルフをプレーしていなかったようだ。

 

写真右端が小倉庄太郎(1865-1946)、左端が、のちに戦前の日本を代表するピアニストとして活躍することとなる小倉末子(本名・小倉末、1891-1944)。「日本ゴルフ史」より転載

 

 日本人初の女性ゴルファー、小倉末子

 小倉庄太郎は旧大垣藩士・小倉周一の長男として1865(慶應1)年に生まれた。ドイツに渡って貿易を学び、神戸で花筵(はなむしろ)などを扱う貿易会社を営んでいたという。花筵は、イ草で編んだ模様入りの莚で、いわゆる花ゴザのこと。明治から大正にかけて神戸港からイギリスやインドなどに盛んに輸出されていた貿易品だった。
 貿易商として財を成した小倉は、1905年に神戸ゴルフ倶楽部に入会。1907年頃に、妹の末子、そしてのちにプロとなる中上数一とプレーをしたという。西村は後年の雑誌「ゴルフドム」(1930年8月号)の座談会においてもこう証言している。
 「ゴルフを六甲で日本人で最初にした方は、1907年頃小倉庄太郎氏が同氏の妹さんの現在音楽家の末子さんと、兎も角もゴルフの球をクラブで打たれたのです。(中略)末子さんも中上も二人の話を聞きました」(西村貫一談)
 1904年には、横屋ゴルフアソシエーションが開場しており、横浜・根岸のニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーションも1906年には開場している。日本初の女性ゴルファーが小倉末子とは断言はできないが、少なくとも日本のゴルフコースでプレーした記録が残る日本人女性の第1号が小倉末子であることは、間違いのないことであろう。そして、神戸ゴルフ倶楽部でプレーした記録が残る最初の日本人は、小倉庄太郎、末子の兄妹であることも間違いないようだ。

 

神戸ゴルフ倶楽部に入会した草創期の日本人会員

1903年

  • S.Kojima
  • K.Sumitomo
  • T.Sakurai
  • Yoshitaro Kawasaki
  • Kojiro Matsukata
  • Masao Matsukata
  • K.Shidachi

 

1904年

  • Abe.N
  • Fujita.Haitaro

 

1905年

  • Ogura.S

 

参考文献:
「神戸ゴルフ倶楽部100年史」
「日本のゴルフ史」西村貫一著、1930年初版、文友堂
「ゴルフドム」1930年、8月号

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