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日本初のナショナルハンディキャップ

最上位は赤星兄弟の「2」

 日本にナショナルハンディ制度が導入されたのは、1926(大正15)年のことである。
 全国レベルのゴルファーの交流が少なかった時代は、各クラブが定めたクラブハンディで事足りていた。しかし、全国規模の競技が盛んになったため、参加資格をクラブハンディで決めるのは不公平だという議論が起きた。日本のゴルフを世界水準に高めるためにも、国際共通のハンディ制度の導入が必要だとの判断であった。
 ナショナルハンディは、1927(昭和2)年から日本アマチュアゴルフ選手権、日本オープンゴルフ選手権の出場資格にも適用された。

 

日本初のハンディキャップ(8以下のプレーヤー)

2 赤星四郎、赤星六郎
3 川崎肇、相馬孟胤
6 野村駿吉、首藤安人、明石和衛
7 浅野良三、高畑誠一、藤田耕一、伊地知虎彦、新田恭一、D.G.スコット、田中善三郎
8 W.J.ボロウマン、W.ブッチャー、藤田欽哉、H.C.クレーン、中上川勇五郎、高松長三

 

1934年に藤澤カンツリー倶楽部(現存せず)を訪れたベーブ・ルース(中央)と赤星四郎(右)、六郎(左)

 

 1927年に行われた第1回の日本オープンゴルフ選手権では、アマチュアの出場資格が「ハンディ8以下」とされ、ともに当時の最小ハンディである「2」を持つ赤星四郎、赤星六郎兄弟など、12名のアマチュアが参加資格を得ている。
 当時のハンディキャップを見ると上位は日本人ゴルファーが占めており、長年にわたり在留外国人が牽引してきた日本のゴルフ界の状況が変化していることを読み取ることができる。 

 

文/近藤雅美

 

参考文献:
「日本ゴルフ協会七十年史」

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