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日本アマチュアゴルフ選手権始まる

1907年、第1回大会の参加者14人は
全員が外国人

 1906(明治39)年に誕生したニッポン・レース・クラブ・ゴルフィング・アソシエーション(NRCGA、横浜・根岸)の会員の中には、神戸ゴルフ倶楽部の会員と交流を持つものが多く、1907年8月には、両クラブ間で交流競技「インターポートマッチ」が始まった。これが日本におけるゴルフクラブの対抗競技の始まりである。
 このインターポートマッチを拡大したのがJapan Amateur Golf Championship(現・日本アマチュアゴルフ選手権)である。
 1907(明治40)年10月20日。当日、会場となった神戸ゴルフ倶楽部はあいにくのどしゃ降りで、参加14人中、ノーリターンが5人も出たという。36ホールのメダルプレー(ストロークプレー)で、根岸の口ーソン(A.B.Lowson)が77、82の計159打で第1回日本アマチュア選手権優勝の栄冠を受けている。

 

 参加者14人はいずれも神戸、横浜の在留外国人であり、日本人が1人もいない日本選手権であった。

 

初めて参加した日本人は、一色虎児

日本人として初めて日本アマに出場した、一色虎児。三井物産勤務時代にアメリカでゴルフを覚えたという。のちに日本製鋼所の取締役となり、初めてゴルフをした日本人と言われる水谷叔彦とともに、室蘭ゴルフ倶楽部(イタンキ)の創立に携わっている

 日本アマに初めて参加した日本人は、1916(大正5)年、根岸で行われた第10回大会に出場した、東京ゴルフ倶楽部の一色虎児である。14人中13位であったという。
 1917年まで神戸と根岸で交互に開催されてきた日本アマが、初めて両コース以外で開催されたのは1918年、東京ゴルフ倶楽部(駒沢コース)の第12回大会であった。この大会はまた、東京ゴルフ倶楽部の井上信(いのうえ・しん)が、日本人として初めて優勝した大会でもある。
 以降、1919年に川崎肇、1921年に田中善三郎、1922年は大谷光明と、東京ゴルフ倶楽部の会員が相次いで日本アマを制覇する。日本アマチュアゴルフ選手権は、名実ともに、日本人ゴルファーの№1を競う競技へとなっていくのである。 

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